記念日の動向:クリスマスが日本一の記念日となった理由
♪もういくつ寝ると(お年玉がもらえる)お正月。そして、その少し前はプレゼントがもらえるクリスマス。数十年前の子ども時代、クリスマスは年越しからお正月に続くスペシャル・ウィークの初日であった。
そして今でもクリスマスは、若い二人が愛を語らうデートの吉日であり、気の合う仲間と盛り上がるパーティーの好日であり、家族がケーキのデザート付きの洋風な食事をする日となるなど、それぞれに楽しみ方ができる記念日であり続けている。
恋人同士の頃はプレゼント交換していたカップルも、結婚して年月を経るとお互いの好物を食べては美味しい記憶を年輪のように刻んでゆく、いわば「晩餐記念日」となっている夫婦も少なくない。
では悠久の世界史の中で紡がれた一宗教上の祭事が、日本においてなぜこれほどポピュラーな記念日になったのだろうか。
そもそも日本でクリスマス的な行事が行われたのは1552年(天文21年)に周防国山口(現在の山口県山口市)で執り行われた降誕祭のミサが最初といわれている。現在、この「日本のクリスマス発祥の地」をアピールしようと山口商工会議所などが「12月、山口市はクリスマス市になる。」を合い言葉に各種のクリスマスイベントを展開中。その企画のひとつとして「ピンバッジ」を製作・販売している。
さて、人々がクリスマスへの関心を高めたのは1904年(明治37年)、輸入高級食材を扱う明治屋が銀座でクリスマスツリーを飾った店内でクリスマスセールを開催したのがきっかけだという。1910年(明治43年)には横浜の不二家がクリスマスケーキを製造・販売するようになり、この頃には児童向けの雑誌に赤い服を着たサンタクロースが描かれるなど、現在のクリスマスの三種の神器ともいえる「ツリー・ケーキ・サンタクロース」が揃う。
そう、現在のクリスマスイベントのスタイルは100年以上も前に形作られていたのだ。
1919年(大正8年)には帝国ホテルでクリスマスパーティーが開催され、プレゼントを贈る習慣も広まり、クリスマスは年中行事のひとつとして定着していく。
戦後もクリスマスは家族だんらんの記念日であり、冬の街を華やかにする記念日として人々の暮らしに彩りを添えてきた。
こうしてクリスマスが長い間、人々の心をとらえ、日本でいちばん市場規模の大きな記念日となったのは、歴史的なストーリーという説得力と、ツリーやイルミネーションなどの装飾文化、プレゼントの贈り物文化、パーティー料理やケーキなどのごちそう文化などが結びつき、「この日にはこの事をして楽しもう」という祭り好きな風土とともに、特別な日付を大切にした記念日文化を根付かせることに成功したからである。
また、滋賀県草津市が発祥とされる靴の形をした容器にお菓子を詰めた「クリスマスブーツ」などのクリスマス商品の開発が盛んに行われたことも市場規模の拡大に貢献した。
さらに、クリスマスはたとえキリスト教徒でなくても「宗教を超えた人類愛の日」だからと、愛と平和が大好きな日本人は自らを納得させる術を持っていたからに違いない。
(記念日文化研究所 ・上席客員研究員 菅野敦也/所長 加瀬清志)